安藤同盟特派員 流血脱出手記

LINEで送る
Pocket

安藤同盟特派員 流血脱出手記

安藤同盟特派員 著

昭和十二年 森田書房

出典:
通州兵変の真相 : 安藤同盟特派員流血脱出手記 附・北支事変従軍記者陣中日記
(著作権保護期間終了)

※本書き起こしはパブリックドメイン(CC0/PD)として公開します。

注意:
・仮名遣いや旧漢字、句読点等、読みやすいように変更を加えています。


通州兵変の真相

@戸外の銃声に、熟睡を破らる

通州兵変勃発以来男子としての最初の生還である安藤同盟通信社記者は、四日間に亘る苦闘の身をベッドに横たえつつ、憩う暇も惜し気に左の手記を綴った。以下その手記ー

記者は万死に一生を得た歓喜と、不幸な運命に遭った同胞に対する哀悼の悲しみと、全く相反する二つの感情に混乱しつつ、この手記を綴っている。記者は去る七月二十七日午後八時某部隊のトラックに同乗を許され天津より通州に入った。二十八日戦没者の告別式に参列、同夜は日本人旅館近水楼に投宿した。

事変突発以来、連日の活動に疲れ切っていた記者は、同旅館の二階の一室で熟睡していると、二十九日拂曉--午前四時頃でもあったろうかーー戸外の銃撃に熟睡を破られた。一発、二発、銃撃は激しくなる一方だ、何事? と飛び起きた記者は直ちに電話機にとびついたが既に電線は切断されているらしく全く普通である。程なく西門、南門の方角に当たって殷々たる砲撃が起こって只事ならぬ気配だ。宿泊人や女中等十九名は一固まりになって不安に震え乍ら戸外を窺えば濛々たる黒煙白煙が上がっているのか暗闇に仄かに見える。記者は廿九軍の逆襲か、保安隊の反乱か、或いは藍衣社共産党の仕業かなどと考えていると、近水楼の付近にも弾丸が雨下し始めた。庭の池の直ぐ向かい側に在る冀東政府の廰舎とも最早連絡がとれなくなり記者は完全に缶詰になってしまった。

夜も全く明け放れた午前七時半頃、我が軍の飛行機が一気飛来するのを認めたので少々安心すると同機はそのまま飛び去ってしまった。未だ変事の突発を知らぬのだと直感した。その中にも砲声は益々激しくなる、遂に近水楼の五、六間先の辺りも拳銃の音が聞こえた、と思ううちに隣家にも拳銃の音が起こる。不安の裡にも耳を澄ませて聞くと聞き覚えのある保安隊の拳銃の音だ、之で漸く事態を覚った。窓硝子を透して戸外を窺うと保安隊だけではなく、黒服黒帽の学生団も混じって拳銃をところ構わず発射している。午前九時半頃一時銃声が止み一安心したところへ、入って来た近水楼子飼いのボーイが第一報を発した。聞けば邦人の居留する北平館、旭食堂の前には日鮮人が多数弾丸に倒され、鮮血に濡れた屍が累々としているとの事である。

一同危機の迫るのを覚悟していると十時ごろから又復銃砲声が轟きはじめた、一体それは何処から何処に向かって撃っているのやら全然判断が付かない。やがて冀東政庁の辺りから盛んに帽子に白線を付けカーキー服を着た保安隊がやって来る、「撃つな、撃つな」と頻りに学生団、藍衣社を追っているらしい、併し一向肯き入れる容子もなく、黒服の学生隊が近水楼の近くに押し寄せ笛を合図に掠奪を開始し、遂に弾丸が家の中へまで飛来してきた。一同二階に逃れ畳を上げ心細い防御陣を構えたが、危険極まりないので屋根裏へ上がろうとの提案で十九名の内十一名は屋根裏へ上った、記者もその中の一人である。声を呑んだ沈黙の時間を過ごし乍ら、小窓から見ると学生が掠奪する有様が手にとる様に見える。椅子、机、お客さんの鞄等なんでも手当たり次第に持って行く。最初は仲間に加わらなかった保安隊まで、掠奪を始めた。すると一階、二階に残った人々の処にもピストルの音がし始め、騒然として来たので全く生きた心地もない。只管呼吸を呑んで小さくなっていた。その内に板戸や唐紙を外す音が聞こえてきた、今まで侵入の目的は掠奪とばかり思っていたが、なんぞ●らん残酷な邦人虐殺がその目的であったのだ、我々の生命は遂に風前の燈となってしまった。併し幸なる哉、彼らは我々の存在に気付かずいったん引き上げていった。