スパイを防止せよ!! : 防諜の心得

LINEで送る
Pocket

スパイを防止せよ!!

国防科学研究会著

昭和十三年 亜細亜出版社

原本:
http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1437450
(著作権保護期間終了)

注意:
仮名遣いや旧漢字、句読点等、読みやすいように変更を加えています。

ライセンス:
本書き起こしはパブリックドメイン(CC0/PD)として公開します。


・機密を守れ恥を知れ
・言うまい、聞くまい、デマ、流言
・誤れば舌三寸が国に仇

一、防諜とはどんなことか

近頃新聞紙やパンフレット等に防諜と言う言葉が累々見受けられる様になってきたが、一体防諜とはどんな事か、又一般流行語の様に、一時的に人気のある言葉で過ぎ去るべきものであるがか、先ず国民は防諜と言う言葉の意味から十分頭に入れて貰いたい。

防諜とは一言にして言えば外国の諜報機関、いわゆるスパイの活動を防止すると言うことである。

言い換えれば之等が我が軍事上の秘密や国家の重要事項を種々巧妙な方法で探り集めるのを防止して、国家国軍の秘密事項を外国スパイの手から掩護してその漏洩を防衛しようと言う極めて重大な仕事を意味するのである。

防諜の字義は以上述べた様であるが、その内容に至っては極めて広汎にしてかつ複雑なるものがある。即ち時勢の進運、科学の進歩につれ社会一般が非常な発展をなし、又国軍に於いても日露戦争当時は機関銃さえ余りなかった状態が、今日では飛行機、タンクを始め沢山の進歩した兵器が出来て戦闘の方法も之に伴って変わって来たのである。

又今日の戦争は単に軍人だけの戦争ではなく、国家の凡ての方面が全能力を挙げて戦勝のために、全力を尽くす国家総動員の形態を必要とする様になった事は言うまでもない。従ってこの複雑なる情勢の間に於いては国家国軍の機秘密の事項もまた極めて沢山あるのである。

この機秘密事項を探り集めるために鵜の目鷹の目で活躍しているのが、いわゆるスパイであり外国諜報機関である。防諜の意義また誠に大なりというべきではないか。

二、防諜は国民全体の手で

一旦戦争の暁においては、国家の全能力を発揮して戦う処の国力戦である。即ち戦勝を獲得して国防の完璧を期するためには軍備ばかりでなく、政治経済産業思想あらゆる部面を総動員して戦争のために適する態勢を作り上げる事を必要とするのである。故にこれは到底戦時急速に出来うることではないのであって、平時から各方面がこの著意で努力することが必要である。しかも戦勝のためにはこれら各方面の総合力を秘匿して、戦時不意に発揮することを要訣とするのである。

然るに外国の諜報機関は国家国事の機秘密はもちろん、その他の重要事項を探り集める事にすべての力と莫大の金力を払っているのであって、これをよく秘匿し得るか、これをよく集め得るかがやがて勝敗の分るるところとなるのである。スパイの活躍の偉大であり、かつその必要性の大いなるを認めらるると同時に、これを防止することのいかに困難であり、かつ必要であるかも十分に了解し得たと思う。

さて然らばこの困難にして必要なる防諜を誰が果たして全うすべきであるか、もちろん憲兵や警察官は職務柄十分に警戒はするが、何分保護すべき対象は極めて多いのに、スパイの魔手は日一日と巧妙かつ潜行的となって来るので、官憲の手のみでは到底其の完全を期することは出来ぬのである。

ここにおいて国民全部が皆官憲と心を合わせ国家保護のための防諜には理解と認識とを以て全力を尽くすべきではないだろうか。

三、軍機の保護と防諜とは

防諜とは前にも述べた通り、単に軍事上の機秘密を保護するばかりでなく、国家のあらゆる部面の機秘密事項を保護しようという事であって、その範囲は極めて広いのであるが、軍機の保護と言うことになると国軍の機秘密事項を保護すると言う防諜の一部分となるのである。しかしこれは防諜の中でも最も必要な事であるのは言うまでもない。昨年十月に軍機保護法が改正せられて相当厳重な規定が設けられたのもこれが為である。

然らば軍機保護法に言う軍事上の機秘密とは何かと言うに、作戦用兵動員出師その他軍事上機密を要する事項、または国書物件を言うのであるが、ちょっとこれだけでは一般には了解しかねるので、その細部は軍機保護法施工規則に書いてある。

ここで一般国民に申したいのは防諜が、近ごろ大変やかましく唱えられ、軍機保護法は公布せられて厳罰が定められ、うかつに物を言うても直ちに官憲に目をつけられる。しかも軍事上の秘密というものは何か一向に解らぬというので途方に暮れ、世間が急に暗くなったように感じられるという様な考え方は絶対無用で、軍機保護法が改正せられ、軍機の保護が厳重になったことは事実であるが、一般国民は別に恐れる必要はないのであって、国民全般がよく防諜の意義を理解し、軍機保護の必要を自覚し、国家国軍のために不利なる言動を慎み、官憲に協力その漏洩の防止に努力することが最も望ましいのである。

四、国民は防諜上どうしたらよいか

防諜上国民の注意すべき事は極めて沢山ある。然し要は、国民全般が防諜観念に徹底し、その必要を自覚し、防諜上の諸注意を厳守し、外国間諜に乗ずる隙を与えないことが最も肝要である。即ち国民各々その言動を慎み、国家国軍の機秘密にわたる様なことは不用意に口外せず、官憲の支持や関係法規をよく守り、国民中より売国奴的不徳の行為を為す者を出さぬ様に相戒め、もし防諜上具合の悪いことを発見した時には、速やかに官憲に告知する等、常に頭の中より防諜の観念を離さぬことが必要である。

しかし防諜をあまりやかましく唱え、ために国民相互に疑念を生じ、密告投書等が横行し、国民生活が不明朗になることは禁物である。

左に防諜上国民の心得べきことを列挙してみよう。(ただ防諜の性質上あまり穿った事や実例等の書けないのは遺憾である)

(1)防諜あるいは国際スパイの活躍について記述したパンフレットや書籍あるいは映画等について、まず趣味を以て防諜観念の涵養に努めてもらいたい。

(2)軍機保護法や要塞地帯法その他防諜に関係した法規は、社会の指導的地位に立つ人は常識的にも一応これを理解してもらいたい。

(3)官庁あるいは軍備品工場等に勤務する者は、職務上知得したる秘密事項は手紙、その他紙片に記入せぬこと。又往復の電車内等においても語らぬことはもちろん、家族といえどもこれを漏らさぬ覚悟が必要である。

(4)産業資源あるいは交通網、船舶、自動車、港湾等のことについて照会等があった場合には、主務者は紹介先内容等を十分検討し、もし不審の点があった際は一応官憲に相談してもらいたい。

(5)営利に没頭していると往々にして国家の対局を忘れ、不用意に機秘密事項を漏えいする様なことはありがちである。外国スパイはかかる隙に乗ずるのであるから十分注意してもらいたい。

(6)軍機保護法や要塞地帯法において写真撮影や測量や航空について禁止せられたところが多いが、国民各々はその規定を厳守すると共に、これを犯す者を発見した場合速やかに官憲に告知してもらいたい。

(7)事変のため応召軍人の出征にあたり応召部隊や応召員の数や軍用列車の数など、不用意に漏らさぬこともまた必要である。

(8)事変地や満州派遣部隊に出す手紙には北支、上海または満州派遣何々部隊として、その固有部隊号は書かぬこと。またその内容にも軍の秘密にわたる様なことは書いてはならぬ。なお動員部隊の部隊号や部隊数等も、うかつに漏らしては大変なことである。

(9)戦地より来る手紙の中には往々部隊号や部隊の行動、将来の企図について軍の機秘密にわたるものや、戦場の悲惨な状況等を書いてあることがあるが、これらは得意顔に他人の前で話すことは禁物である。

(10)戦地より来た手紙文をそのまま新聞や雑誌その他の印刷物に記載せられる傾向があるが、これらの内容は十分に検討し、疑わしい時には官憲に一応尋ねることが必要である。

五、スパイの魔手は如何に動くか

我輩はスパイであると看板を掲げてくるスパイは一人もいない。また一般にスパイと言えばロイドの眼鏡に帽子を目深に被り、人相の悪い無頼漢の様な者を連想するのであるが、決してそんなものではない。妙齢の婦人でスパイをやった例は欧州戦争当時はもちろんのこと、我が国でも決してその例は少なくないのである。平素はスパイなどその辺にいるものかと油断する人が極めて多いので誠に困るのである。我々の周囲にはスパイの魔手が絶えずさし伸ばされていると思わねばならぬ。ことに現在のような時局にはスパイの数も増加していることは言うまでもないのである。またスパイと言えば外国人ばかりがやるものと思うのは大きな間違いで、同胞の中にも売国的行為をやるものがあるのである。

しからばスパイはどんな所に目をつけて動いて来るか。

まず軍事上の機秘密を探り集めるために軍隊、軍関係、官衛、学校、軍需品工場あるいは軍人、軍属、陸海軍の文官、雇員、職工あるいはその家庭、家族、知己等に目をつけ、機秘密図書や飛行機、大砲、軍艦等の機秘密事項あるいは事変のために出動している部隊の部隊号、人馬数などを探っているのである。その他産業資源の方面においては特に軍需品製造に関係のある鉄、石炭、石油の産出量、電気事業あるいは鉄道網、道路網、港湾の状況、自動車、船舶、列車の数あるいは航空事業、化学工場の方面に至るまで、戦争遂行に必要のある国力資源その他一般の国情は、絶えず各方面にわたって収集に努めているのである。そしてこれを探知収集する方法に至っては、極めて巧妙にやているのであるが、まず公然合法的にあるいは隠密非合法的に、また自ら現地を視察調査し、あるいは照会を発し、あるいは新聞雑誌等の中より、あるいは隠密に諜者を用いて探偵する等種々あるが、ここにその全貌を明らかにすることは差し控える。

しかし国民は常に防諜の観念を旺盛にし、日常の言動は電車、汽車の中、停車場、劇場あるいはカフェー、飲食店の酒間や井戸端会議においても、秘密にわたる事項は爪の先でも話さぬ固い決心とまた秘密事項を書いてあるものは、紙くずでもみだりに捨てぬ周到な用心があればまず心配は無用である。

六、外国の人は皆スパイか

外国人を見たら皆スパイと思えというような観念のよくない事は言うまでもない。我が国に来ている外国人には、上は各国の大公使を始め領事、陸海軍武官、商務官、通商代表部員あるいは外国系会社すなわち、フォード自動車、スタンダード石油会社等の従業、外交員、新聞通信記者、宣教師、語学教師等相当の地位を有する者より下は行商人、支那そば屋等のごとく職業は有するも生活あまり豊かでないもの、あるいは視察観光のために渡来する外国人等その数は極めて多いのである。

しかしこれらの外国人が、皆我が国に来てスパイ行為を為しているとは決していえないのであって、善良なる外国人が多いのであるが、相当の地位のある人で中には要塞地帯に入って無断で写真を撮り、その外公然にあるいは隠密に具合の悪い事をやっている者もまた相当にあることを忘れてはならないのである。

あまり具体的なことは書くのを許されないが、国民としては相当の警戒心はもちろん必要であるが、常に大国民としての襟度を保ち、丁寧に取り扱う事も十分考慮せねばならぬ。

七、国民よ防諜の覚悟はよいか

スパイ一人の力は数ヶ師団の力に優るといわれている。欧州大戦等の例に見てもスパイの暗躍によって敗戦の憂き目を見たことは一再ならずあるのである。かくして欧州列強の人は対戦の苦い経験もあり、又国境を接している関係等から防諜には非常に細心なる注意と莫大なる努力とを払い、またその法律などものよほど厳重であるが、日本人は国民性のしからしむる所もあり、昔から島国の関係で防諜の意識は一般に少ないのである。

しかし国内においては、戦国時代の昔においても諸侯の間では相当に関心を持たれた実例、経験もあるから、日本人必ずしも防諜に不得手とは言えないのであるが、外国人から見れば尚物足らぬ点は沢山あるのが実情である。

現下挙国一体今次支那事変終局の目的完成に努力しているのとき、国民不用意の言動が元となり、軍の作戦計画や国家の重要事項が敵国その他に筒抜けとなり、軍の作戦遂行に不都合を来たし、あるいは国論不統一を疑われたりする事は由由しき問題である。

時局の進展につれ外国間諜の我が国への侵入は多くなり、その手段方法も巧妙悪辣を加うるのである。日本国民たるもの緊褌一番防諜観念を涌養しその施設に万全を期し、官民一致そんほ完璧に遺憾なからしめ、有終の美を発揮すべきである。(終)

 


更新:

20151202 初版入力